涙の果てに海になる
いつか全てが思い出になる
忘れてしまえば風になる
死して土になる
涙の果てに海になる
最近、思ったことや思いついたこと・考えたことなんかを忘れないようにしようとメモに残すことが多くなった。
あの人が僕の前からいなくなって、なんとか自分自身の中で折り合いをつけようとしてきた自分がいた。
それは、たとえばあなたからの連絡を無視するという稚拙さだったり、SNSにあなたの痕跡を探す未練がましさだったり。
怒りや悲しみや虚しさや苦しさ、そういう負の感情を並べ立てて自分を悲劇のヒロインに仕立て上げるのは至極簡単なことだし、それをしたところで迷惑をかけるような人の範囲もたかがしれているので構わないといえば構わない。
だけど、この感情を怒りや悲しみに変換したところで、こいつらに行き場所なんてない。
平静が欲しいわけではなく、怒りは怒りのままでいいだろうし悲しみは悲しみのままでいい。
ただ、自分という存在はそれらの感情を許さなければ、許していかなければいけないという気持ちが唐突に起こった。
そういう行き場のない感情を受け止めてくれる人を待つのではなく、自分から受け止め許すことが必要なのだと。
だから思ったことはメモに留めておく。
ああ自分はこう思ったのだ、と。
こんなことを考えたのか、と。
そしてそれをひとつひとつ自分の中で昇華していくしかない、と。
みっともない未練もクソみたいな気持ちも、どうしても忘れられない記憶も全部全部、全部含めて全部背負って生きてくしかない。
たまたま残ってた写真に少し嬉しくなってもいいじゃないか。
なんの連絡もないことに悲しくなったっていいじゃないか。
目に映った景色の中にあなたとの記憶が浮かんだっていいじゃないか。
それも全部、どうしようもなく自分なのだから。